Pierre GROS
ピエール・グロ
1990年生まれ
エンジニアの学問を修めた後、パリで最初の職業に就いたピエールは、自らのワインの情熱と先代たちが築きあげた家業の長い歴史から、再びドメーヌに戻り、醸造の勉学を積みました。2016年、ブドウ栽培・醸造に関する高等技術士としての資格をとり、父が長年の実践で身に着けた手腕を譲り受けるべく、ミシェルに師事し、収穫と醸造に従事するようになりました。
2019年、家業に専念できるようエンジニアの職を離れました。その年から徐々に父から息子へ権限が譲られ、ドメーヌの経営と安定したワインの品質を今後ピエールが担っていけるよう全般の仕事に携わっています。偉大なワインを造るためには、ブドウ栽培と土壌を生かす事が根本になると悟ったピエールは、テロワールへの更なる理解に努め、年間通じてブドウ畑での緻密な作業に信念を持って行っています。
Michel GROS
ミシェル・グロ
1956年生まれ
1975年、ミシェル・グロはボーヌ市のぶどう栽培醸造学校を卒業し、父ジャンと共に家業のドメーヌで働き始めました。
そして1978年には、それまで通り父ジャンの片腕となって働きながら、一方で自分自身のドメーヌ(ドメーヌ・ミシェル・グロ)を設立しました。父方の2ヘクタールのブルゴーニュ・オート・コート・ド・ニュイからワインを醸造し、彼自身の名義でワインを販売し始めたのです。つまり1979年がミシェルにとっての最初のヴィンテージになります。
年月とともにミシェルは自分のドメーヌを拡大していきました。
フィロキセラ禍の打撃のあと放置されていたオート・コートの丘に新たに苗木を植えつけたり、1990年にはヴォーヌ・ロマネ《オー・レア》を、1993年と1996年にはシャンボール・ミュジニーのいくつかの区画を、そして1995年にはモレ・サン・ドニ《アン・ラ・リュ・ド・ヴェルジィ》の区画を購入したりしました。
1995年、ジャン・グロが引退し、子供たちにドメーヌを分け与えました。
父と共にドメーヌ・ジャン・グロの経営にずっと携わってきたミシェルは、次の畑を譲り受けました。
ヴォーヌ・ロマネ・プルミエクリュ《クロ・デ・レア》モノポール、ニュイ・サン・ジョルジュの二区画、ヴォーヌ・ロマネの一区画、そしてブルゴーニュの一区画です。
1997年、地主のエカール家はミシェルにヴォーヌ・ロマネとニュイ・サン・ジョルジュにある3.5ヘクタールの畑を委託しました。続いて2008年に2.5ヘクタールのオート・コート・ド・ニュイの畑も委ねました。
ドメーヌ・ミシェル・グロは今日、総じて23ヘクタールの畑からワインを生産しています。
Jean Gros
ジャン・グロ
1927-2016
ジャン・グロは父ルイから、クロ・デ・レアの全部と、0.5 ヘクタールのリシュブール、0.5 ヘク タールのヴォーヌ・ロマネを含む 4 ヘクタールのブドウ畑を相続しました。その後、自らが立ち
上げたドメーヌ・ジャン・グロを精力的に拡大していきました。例えば 1967 年には息子ミシェル の 11 歳の誕生日を祝って、クロ・ヴージョの一区画を息子名義で購入するなど、いくつかの区画 を入手しています。
しかしドメーヌの拡大は区画の購入によるものだけではなく、むしろ未開の地の開拓や当時荒廃 していた畑の再整備にありました。ヴォーヌ・ロマネやニュイ・サン・ジョルジュのブルゴーニ ュに格付けされた畑や、アルスナン村にあるオート・コート・ド・ニュイの畑に、ブドウ樹を植 えたり区画を再整備することでドメーヌを拡大していったのです。
彼はユニークで進んだ考えの持ち主でもあり、ヴィーニュ・オート・エ・ラルジュという、背丈 を高くとって枝を大きく広げる栽培方法を熱心に支持していました。この方法で栽培されている ブドウ畑は今日もオート・コート・ド・ニュイに見られます。昔は大半の畑でこの栽培方法がと られていました。彼はまた機械化にも熱い期待を向け、農家の負担を和らげるであろう多くの機 材や先進技術が開発されていく過程で大いに貢献しました。
1995 年の収穫後、ジャン・グロは引退し、自分のドメーヌ(GFA ジャン・グロ)を 3 人の子供たち に分け与えました。すでにそれまで父と肩を並べドメーヌ・ジャン・グロの経営に携わってきた ミシェル、フランソワ・パランと結婚して 1988 年からポマール村でドメーヌ A.F グロを経営して いるアンヌ=フランソワーズ、1980 年からドメーヌ・グロ・フレール・エ・スールで働き、現在 その経営者となっているベルナールの 3 人です。
Louis Gros
ルイ・グロ
1893-1951
ルイ・グロは父が始めた仕事を受け継ぎ、ドメーヌ・ルイ・グロ、続いてドメーヌ・ルイ・グ ロ・エ・フィスの名で家業を継承しました。
ルイは 1951 年に亡くなり、4 人の子供たち(ジャン、ギュスタヴ、フランソワ、コレット)が 夫々独立してドメーヌを経営できるよう畑を残しました。1963 年、子供たちはその畑を分かち合 いました。
ギュスタヴとコレットは自分たちが相続した畑をあわせてドメーヌ・グロ・フレール・エ・スー ルを設立しました。今日このドメーヌは、彼らの甥でありミシェルの弟にあたるベルナール・グ ロが経営しています。
ジャンとフランソワはグロ・ペール・エ・フィス社のもと 1973 年まで一緒に働いていました。そ の後二人は分かれて夫々のドメーヌを経営するようになりました。
Jules Gros
ジュル・グロ
1832-1930
ジュル・グロはルノド家の令嬢と結婚し、ドメーヌ・グロ=ルノドの名で経営しました。
1920 年、レオンス・ボケ氏の遺産が競売にかけられた時、クロ・ヴージョの二区画を購入しまし た。 これらの区画は彼の二人の息子のうち、大戦で重症を負いながらも独り無事に帰還したルイに譲 渡されました。
何年か後にジュルはグラン・ゼシェゾーを購入し、3 ヘクタールのエシェゾーのリューディ《レ・ ロアショス》の交換分合に自らの生涯をそそぎました。
Louis-Gustave Gros
ルイ=ギュスタヴ・グロ
1831-1904
ルイ=ギュスタヴ・グロは、アルフォンスの二人の息子の内の一人で、父の家業を継いでゲノー家の令嬢と結婚しました。
彼は自分のワインをドメーヌ・グロ=ゲノーの名で販売しました。コートの生産者たちに先駆けて元詰めを開始し、個人客にワインを直接販売するようにしたのです。
1882年、ルイ=ギュスタヴは、2ヘクタールのリシュブールを購入しました。今日その畑はグロ家の他の3つのドメーヌが管理しています。
Alphonse Gros
アルフォンス・グロ
1804-1884
グロ家の歴史は、アルフォンス・グロに始まります。
1804年、ショー村(ニュイ・サン・ジョルジュから2kmほど上ったオート・コート・ド・ニュイの小さな村)に生まれたアルフォンス・グロは、ラトゥール家の令嬢と結婚し、1830年にヴォーヌ・ロマネ村に定着します。
この村は後に世界で最も名が知られることになるAOC産地の一つで、アルフォンスはコミューヌ通りの3番地に屋敷を購入しました。
この家は1789年のフランス大革命の間、シトー修道院で重要な地位にあった僧侶ドン・トルヴェ氏が身を隠していた場所でもあります。
1860年、アルフォンスは《クロ・デ・レア》の畑を購入しました。現在その畑はドメーヌ・ミシェル・グロがモノポール(単独所有)でワイン造りを続けています。